厳美渓と明治の文豪幸田露伴の紀行文(その4)

枕頭山水(ちんとうさんすい)    (八)Page  4/5

厳美渓
行かるゝような市街(一ノ関)近く道好きところ在るは真に称すべし、 (それ)のみならで今は葉時なれど桜の木さへ少なからず見ゆれば、花時の 眺望如何に清絶美絶なるらむ、想いやるだに松の翠の間を佐保姫の刺繍(ししゅう) して出だす桜花甲所に一笹の雪乙所に一団の白雲を現じなば、流れ も巌も一倍の光彩を発して水妙香を伝え石落紅を点ずる風流実に賞 するに足る事なるべしと思わる、松島は大にして麗、厳美は小にして奇 なりなどと、日本三景の一とも云わるるものを比較にとりて松崎復が 渓橋の碑に記しせしは(いささか)か過ぎたる()知らざれど、此景で客舎さへ寝覚 の「たせや」ほどのが有らば申し分なし、確乎(かっこ)とした試験せしには あらざるべきが河中に温泉の沸き居るよしなる(ゆえ)、若し此の地にして修善寺の 如きに至らば妙益々妙、大厦高楼(たいかこうろう)(とみ)に出来んが、左無くとも(けだ)し客舎 は追々(おいおい)好くなるべし、碑文など読み(おわ)りて熊清というに戻り、酒を 鍬鍛治(くわたんや)の正宗なら()けれど豆腐屋のほうとう庖刀なるべしと飲まず嫌いを怜悧(れいり)
※松崎復・・・江戸末期の儒学者、大槻玄沢と親交あり。※大厦高楼・・・大きく高い建物のこと。※熊清・・・一関地主町在住の豪族 ※怜悧・・・利口なこと。※本文の漢字カナについて